元大関・把瑠都(ばると)は、2013年の大相撲引退後、どのような人生を歩んでいるのでしょうか。2026年現在、把瑠都ことカイド・ホーヴェルソンは、相撲界を離れて輸入ビジネスや母国エストニアでの事業に携わる一方、若い世代への相撲指導にも取り組んでいます。2019年から2023年まではエストニア国会議員も務め、スポーツ選手から実業家、政治家へと活動の幅を広げてきました。
2026年9月には、エストニア公共放送ERRが、把瑠都の支援を受けた若手力士が日本の大相撲の世界へ進んでいることや、本人が欧州相撲連盟の次期会長に就任する予定であることを報道しました。現役時代の豪快な取り口で知られた元大関は、いまや日本とエストニアを結ぶ存在として活動しています。現在の仕事、ホテル・宿泊事業、国会議員時代、家族、引退理由まで、公開情報と報道をもとに整理します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 現在の仕事:東京を拠点とする輸出入ビジネスに携わり、エストニアでは宿泊施設などを運営している。
- 相撲との関係:引退後も指導や若手力士の育成を続け、2026年には欧州相撲連盟の次期会長就任予定も報じられた。
- 異色の経歴:2012年の幕内最高優勝、2013年の引退、RIZIN参戦、2019~2023年の国会議員経験を持つ。
【2026年最新】把瑠都の現在の仕事は?実業家として日本とエストニアで活動
把瑠都の現在を理解するうえで押さえたいのは、相撲引退後の仕事が一つに限定されていないことです。日本でのビジネス、エストニアでの事業、スポーツを通じた人材育成という複数の活動を並行しています。
2025年に掲載された英字紙「The Baltic Times」のインタビューでは、把瑠都本人が、東京で輸出入を扱う会社を経営し、10年以上にわたって事業に取り組んできたと説明しています。また、エストニアではホリデーホームと風車施設の運営にも携わっていると語っています。
さらに、2026年5月16日放送のテレビ番組「鶴瓶孝太郎」では、元大関の現在を紹介する企画が放送され、輸入会社の社長業やエストニアでの宿泊事業、子どもたちへの相撲指導が取り上げられました。
つまり、把瑠都は単に日本を離れて別の仕事に就いたのではありません。日本で築いた人脈や知名度、相撲を通じて身につけた経験を生かしながら、ビジネスとスポーツの両面で活動を続けているのです。
2026年の動向を追う際には、現役時代の知名度だけでなく、実業家としての継続的な仕事と、母国での相撲普及活動の双方に注目する必要があります。
【輸入会社・ホテル経営】把瑠都はエストニアで何をしている?
東京で魚や菓子などを扱う輸入ビジネス
把瑠都の引退後の活動で、意外に知られていないのが輸入会社の経営です。大相撲で培った知名度を芸能活動だけに頼るのではなく、商品を扱う事業へと活動領域を広げてきました。
2026年5月のテレビ番組で紹介された内容によると、引退後に約2年間、輸入に関する知識を学び、2016年から魚や菓子などを日本へ輸入する仕事を始めたとされています。
輸出入事業は、商品を仕入れて販売するだけでは成り立ちません。取引先との関係づくり、商品の品質管理、輸送、通関、販売先の確保など、継続的な実務が必要です。把瑠都の事業についても、現役時代の知名度だけでなく、引退後にビジネスを学び、実務に取り組んできた点が注目されます。
ただし、会社の正式名称、最新の売上高、従業員数、取扱商品の全リストといった経営上の詳細は、今回参照した報道だけでは十分に把握できません。事業を継続していることと、会社の規模や業績を評価することは分けて考える必要があります。
エストニアではホテル・宿泊事業にも取り組む
把瑠都は母国エストニアでも事業を手がけています。The Baltic Timesのインタビューでは、宿泊用のホリデーホームと風車施設を運営していると説明しています。日本のテレビ番組ではホテル経営として紹介されることもありますが、公開されている本人の説明に沿えば、宿泊施設などの運営に携わっているという表現が実態に近いでしょう。
エストニアはバルト海沿岸に位置する北欧に隣接した国で、首都タリンの旧市街や地方の自然・歴史的建造物などが観光資源になっています。宿泊施設や地域の特色を生かした施設の運営は、観光と地域経済に関わる仕事です。
もっとも、把瑠都が運営する施設について、客室数、宿泊料金、年間の稼働率、収益などの詳細な数値は、今回確認できた報道からは判断できません。「ホテル経営」という肩書だけで事業規模を大きく見積もるのではなく、本人が語った施設運営の内容と、確認できる範囲の情報を区別して理解することが大切です。
なぜ日本とエストニアの両方で仕事をするのか
把瑠都の経歴には、日本での相撲生活、テレビ出演、ビジネス経験、母国での政治活動が連続しています。日本は彼にとって長年生活し、仕事上の人脈を築いた国であり、エストニアは生まれ育った母国です。
日本での輸入ビジネスとエストニアでの施設運営は、それぞれ別の仕事です。しかし、日本と母国の双方に接点を持つことは、取引や観光、スポーツ交流などを結びつけるうえで強みになり得ます。把瑠都の引退後のキャリアは、元スポーツ選手が現役時代の経験を異なる業界へ転用する一例として見ることができます。
【相撲道場で指導】把瑠都は現在も相撲に関わっている?2026年の最新動向
把瑠都は大相撲を引退したものの、相撲との関係を断ってはいません。エストニアでは若い選手の指導に携わり、日本のプロ相撲へ進む選手を支援しています。
エストニア公共放送ERRは2026年9月、把瑠都の支援を受けたアナトリ・ザドルジュヌイ(Anatoli Zadorožnõi)が、日本の大相撲のプロの世界に進むことを報じました。2006年生まれの同選手は、エストニアで相撲の国内選手権を複数回制した経験を持ち、柔道やグレコローマンレスリングにも取り組んできた選手です。
同選手は日本語の試験を通過し、2026年11月の九州場所からプロの土俵に立つ予定と報じられています。所属先は琴奨菊が率いる秀ノ山部屋で、把瑠都は自らの日本での経験や人脈を通じて、若手選手が日本へ進む道を支えています。
この動きが示すのは、把瑠都の活動が子どもたちへの基礎指導だけにとどまらないことです。母国で相撲を学ぶ若者が、日本のプロの世界へ挑戦するための橋渡しにも関わっています。
また、ERRは2026年9月15日、把瑠都が2027年5月から欧州相撲連盟の会長に就任する予定だと報じました。欧州での相撲普及に携わってきた経験を踏まえ、競技の組織運営にも役割を広げる見通しです。
相撲の指導、若手力士の日本への送り出し、欧州での競技普及は、いずれも現役時代の経験を生かせる分野です。把瑠都の現在を知るうえでは、輸入会社の経営と並んで、こうした相撲界への貢献も重要な要素になります。
【経歴・年表】把瑠都の大相撲時代から現在までを整理
把瑠都の現在の活動を理解するには、現役時代の実績と引退後の転身を時系列で見ると分かりやすくなります。日本相撲協会の公式プロフィールとエストニア国会の公開記録、報道各社の記事をもとに、主な節目を整理しました。
| 時期 | 主な出来事 | ポイント |
|---|---|---|
| 1984年11月 | エストニアで誕生 | 本名はカイド・ホーヴェルソン |
| 2004年5月 | 大相撲で初土俵 | しこ名は把瑠都 |
| 2006年5月 | 新入幕 | 幕内力士として活躍 |
| 2010年5月 | 大関に昇進 | 大相撲の最高位は大関 |
| 2012年1月 | 幕内最高優勝 | 14勝1敗で初優勝 |
| 2013年9月 | 大相撲を引退 | 左膝の重傷と回復の遅れが理由 |
| 2015年末 | RIZIN参戦を発表 | 総合格闘技にも挑戦 |
| 2016年以降 | 輸入ビジネスに取り組む | 魚や菓子などを日本へ輸入 |
| 2019~2023年 | エストニア国会議員を務める | 国会での活動を経験 |
| 2026年 | 若手力士の育成、事業を継続 | 2027年5月の欧州相撲連盟会長就任予定も報道 |
日本相撲協会の公式プロフィールによると、把瑠都の最高位は大関で、幕内優勝は1回。生涯戦歴は431勝213敗102休です。恵まれた体格と怪力を生かした相撲で人気を集め、2012年には幕内最高優勝を果たしました。
その後は故障による引退、格闘技への挑戦、実業家としての活動、国会議員への転身と、競技者時代とは異なる道を歩んでいます。相撲の実績だけを見ると一人の元大関ですが、経歴全体を追うと、スポーツを起点に活動領域を広げてきた人物像が浮かび上がります。
【引退理由とRIZIN】把瑠都はなぜ相撲を辞め、格闘技に挑戦したのか
引退の決定打は左膝の重傷
把瑠都の大相撲引退は、2013年9月11日です。日本相撲協会へ引退届を提出した際、本人は左膝のけがが治らず、土俵に立てないことを理由として説明しました。
日刊スポーツなどの当時の報道によると、2013年5月の夏場所で稀勢の里との取組中に左膝を悪化させ、前十字靱帯および半月板の損傷と診断されました。その後も治療と回復を目指しましたが、十分に復帰できる状態には至りませんでした。
把瑠都は2012年初場所で初優勝を遂げた一方、同年秋以降は休場が続き、九州場所後には大関から陥落しています。2013年の夏場所でも負傷し、名古屋場所を全休。秋場所の番付は十両まで下がっていました。
当時の引退会見では、横綱になる機会を生かせなかったことへの悔しさも語られています。したがって、引退理由を単に「相撲への意欲を失ったから」と捉えるのは適切ではありません。本人が続けたい気持ちを持ちながらも、膝の状態が競技復帰を難しくしたという経緯が、当時の報道から確認できます。
引退後はRIZINで総合格闘技に挑戦
大相撲を引退した把瑠都は、競技者としての活動を完全に終えたわけではありません。2015年10月、格闘技イベント「RIZIN」への参戦が発表されました。
スポーツナビの当時の記事によると、把瑠都は子どものころから柔道に取り組んでおり、格闘技への関心を持っていました。大相撲引退後も身体を動かす生活を続け、総合格闘技への挑戦を決断したとされています。
ただし、大相撲と総合格闘技は、競技規則も勝負の展開も異なります。相撲で培った体格や組みの強さがある一方、総合格闘技では打撃や寝技など、別の技術も求められます。RIZIN参戦は、元大関としての実績をそのまま別競技に移したというより、新しい競技環境への挑戦として見るのが適切です。
その後の把瑠都の活動は、格闘技一本に絞られたわけではなく、事業経営や政治活動、相撲の普及へと広がっていきました。競技者としてのキャリアを終えた後も、身体能力や知名度を生かしながら異なる分野に挑戦してきたことが特徴です。
【国会議員の経歴】把瑠都は政治家として何をしていた?
把瑠都はエストニアに帰国した後、政治の世界にも進出しました。エストニア国会(リーギコグ)の公式議員プロフィールによると、2018年からエストニア中央党に所属し、2019年の総選挙で国会議員に当選。第14期国会の議員として活動し、2023年4月1日まで在職しました。
日本で知られる元大関が国会議員になった背景には、母国での知名度に加え、日本で長年暮らした経験や、アジアとの接点を生かすという側面がありました。エストニア国会の公開プロフィールにも、日本の相撲界での経歴やスポーツ関連の活動が記録されています。
ただし、国会議員としての経歴と、相撲選手としての功績は区別して評価する必要があります。議員に就任したこと自体は公的記録で確認できますが、それだけで特定の政策を成立させた、あるいは政治的な成果を挙げたと断定することはできません。
在エストニア日本国大使館は2025年4月、カイド・ホーヴェルソン元国会議員を大使公邸に招いて意見交換を行ったと発表しました。発表では、相撲界引退後の国会議員としての経歴や、その後の多方面での活動に触れ、日本とエストニアの関係についても意見が交わされたとしています。
政治家としての任期はすでに終わっていますが、日本との関係やスポーツ交流に携わる活動は続いています。国会議員への転身は、把瑠都の経歴の中でも異色の出来事ですが、母国に戻って新しい役割を担おうとした時期として位置づけられます。
【本名・妻・家族】把瑠都のプライベートと日本への思い
把瑠都凱斗の本名はカイド・ホーヴェルソン
把瑠都の本名は、カイド・ホーヴェルソンです。日本相撲協会の公式プロフィールでは、1984年11月5日生まれ、エストニアのラクヴェレ出身とされています。「把瑠都凱斗」は大相撲で使用していたしこ名であり、本名とは異なります。
日本では「把瑠都」という名前で広く知られていますが、母国の報道や国会の記録では、Kaido Höövelsonという本名で紹介されています。日本での競技生活と、エストニアでの政治・事業活動を追う際には、両方の名前を把握しておくと情報を整理しやすくなります。
妻や子どもについて公表されている情報
エストニア国会の公式議員プロフィールには、把瑠都が既婚で、息子が1人いることが記載されています。The Baltic Timesのインタビューでも息子について触れられており、スポーツに親しんでいることや、テニスとサッカーに取り組んでいることが紹介されています。
一方、家族の生活の詳細や日常の様子については、事業やスポーツ活動に関する情報ほど多くは公表されていません。家族の情報を知る際は、本人や公的プロフィール、信頼できる報道で紹介された内容を中心に捉えるのが適切です。
日本とエストニアをつなぐ存在として
把瑠都は19歳で日本へ渡り、大相撲の世界で大関まで昇進しました。日本での生活は競技者としての時間にとどまらず、テレビ出演や人との交流、ビジネスを学ぶ経験にもつながっています。
2025年のThe Baltic Timesのインタビューでは、日本でのテレビ活動を振り返り、相撲の現役時代とは異なる日本の姿を知る機会になったと語っています。また、2025年には日本とエストニアの関係をめぐって在エストニア日本国大使とも意見交換を行いました。
2026年には、エストニアの若手選手が把瑠都の支援を受けて日本のプロ相撲へ進む動きも報じられています。こうした活動は、日本で得た経験を母国の次世代へつなぐ取り組みです。
2027年5月に予定される欧州相撲連盟会長への就任が実現すれば、把瑠都は個々の選手の支援だけでなく、欧州全体で相撲を普及させる組織的な活動にも関わることになります。日本で相撲を学んだ経験を、母国や欧州のスポーツ環境に還元する動きは、今後の活動を理解するうえで重要なポイントです。
【把瑠都現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:把瑠都は2026年現在、何の仕事をしていますか?
A1:東京で輸出入ビジネスに携わり、エストニアでは宿泊施設などを運営しています。また、若手選手への相撲指導や、日本の大相撲を目指す選手の支援にも取り組んでいます。
Q2:把瑠都が大相撲を引退した理由は何ですか?
A2:2013年5月の夏場所で悪化した左膝のけがが主な理由です。前十字靱帯や半月板を損傷し、治療を続けても十分な回復が得られず、同年9月11日に引退しました。
Q3:把瑠都は国会議員だったのですか?
A3:はい。2019年にエストニア国会議員に当選し、2023年4月1日まで在職しました。現在は国会議員ではありません。
Q4:把瑠都の本名は何ですか?
A4:カイド・ホーヴェルソンです。把瑠都凱斗は大相撲で使用していたしこ名です。
Q5:把瑠都は現在も相撲を教えていますか?
A5:はい。エストニアで若い選手の指導に携わり、日本のプロ相撲を目指す選手も支援しています。2026年9月には、把瑠都の支援を受けた若手選手が日本の大相撲へ進むことや、本人が2027年5月に欧州相撲連盟の会長へ就任する予定であることが報じられました。
まとめ:把瑠都の現在は実業家・指導者としての新たな挑戦
2026年現在の把瑠都は、大相撲の元大関という肩書だけでは語り切れない活動を続けています。東京での輸出入ビジネス、エストニアでの宿泊施設などの運営、若手選手への相撲指導、そして過去の国会議員経験と、複数の分野にまたがる経歴を持っています。
大相撲を引退した直接の理由は、左膝の重傷によって土俵に立ち続けることが難しくなったためでした。その後、RIZINでの格闘技挑戦を経て、実業家や政治家としての道を歩み、現在は日本で得た経験を母国の事業やスポーツの発展に生かしています。
特に2026年の最新動向として注目されるのは、エストニアの若手選手が日本の大相撲へ進むための支援と、2027年5月に予定される欧州相撲連盟会長への就任です。いずれも、把瑠都が現役時代に培った経験や人脈を次世代へつなぐ活動といえます。
今後の動向を追う際は、輸入会社や宿泊事業の経営状況、若手力士の育成実績、欧州相撲連盟での役割を分けて見ると、現在の活動をより正確に理解できます。2012年の幕内優勝で日本の相撲ファンを沸かせた把瑠都は、2026年現在も、日本とエストニアの交流を支える新たな役割に取り組んでいます。 (出典: 把 瑠都 現在(Yahoo!ニュース))